part2です。
どんな展開になるんでしょう?
それでは早速行ってみましょう!!!
スリラー
それからスリラーの本領発揮です。
それまでの私たちは自由?というか、指導者に縛られることなくやっていたものですから本物に出会えたことで、ぬるま湯につかっていた自分たち。
井の中の蛙だった自分たちを受け入れない者も出てきたのは本当のところでした。
しかし私は、自分の目標や夢に向かってスリラーを信じてついていくことを自分で決断しました。
当然仲間の仲はギクシャクしました。
もっと詳しく書くといろいろとあるんですが、それは後ほど!笑
スリラーの練習は短時間集中型!!!
アップは塁間ダッシュを5本
キャッチボール
守備基本練習(型を覚える練習)
ノック
バッテイング
スイング
終了!!!
正味2時間もなかったと思います。
でも、めちゃくちゃ疲れました。
緊張感というか集中している時間が長いのと、張り詰めた空気。
スリラーの一言一言を聞き逃すまいと耳を立たせている。
しかも個人個人違うことを教えている(その子にあったものを伝えている)
身体つきもタイプも違いますからね!!!
そして何より理論立てて教えてくれた。
これには納得です。
高校生ながらも自分なりに考えて理論はありましたが、そんなものは経験の少ないド素人の理論に過ぎず、野球界の非常識に過ぎなかったことは衝撃でした!(甘いよね!!!笑)
当然、ポジションも色々なコンバートがあり。
なぜ、その選手がそこのポジションなのか?
なぜ、その選手がその打順を打つのか?
なぜ、相手投手のその球を狙うのか?
なぜ、そのタイミングでその作戦なのか?
きちんと理由立てて説明してくれたのです。
理論の大切さ
試合の前の日も明日のスタメンはコレでいくと何対何でうちが勝つ!
そんな話を聞かされると、そんな簡単にいくわけないでしょ?
と、内心思いつつも返事だけは「ハイ」笑
実際に試合してみるとスリラーの読みは「ビンゴ」
保護者もそのスコアーを前の日から聞いていたので、その数字の馬券を買ってこれまた「ビンゴ」!笑
なんてことが1回や2回じゃないわけですよ!!!
たった1年半しか教わっていない私たちでもメキメキ力をつけ、今までは地区大会を勝っただけでも大騒ぎしていたのに、地区大会は勝つのが当たり前。
中学時代に勧誘された私学とも互角に戦えるくらいになってました。
(毎日10キロも走らずに済んでよかった!笑)
当然私はスリラーについていくと自分で決断をしていたので、いわゆる洗脳されスリラーの信者になっていたのは確かです。(もちろん野球にですよ!笑)
不安
でも、1つだけ不安なことがありました。
それは、スリラーが指導してくれていることは強豪私学もスリラーの存在をわかっています。
ただ、公式戦にはベンチに入れなかったことなのです。
学校側が監督し年認めてくれず、ほとんどボランティアで指導してくださっているにも関わらす学校側は絶対に認めてくれなかったのです。
だから公式戦はいつもベンチの上からサインを出してました。(これは内緒ですよ)笑
私がランナーに出てセカンドベースからリードをとっていると、相手チームのショートの選手に「お前どこのサイン見てるんだよ」と、言われたものです。
やはり公式戦となるとベンチの指示は一瞬一瞬で変わるので近くにいないとなかなか伝わらないのはわかっていましたが、それだけはどうにもならなかったのです。
高校野球最後の夏の大会
これで負ければ高校野球は終わり。
高校球児は誰もが経験する瞬間です。
私もこの瞬間を経験しました。
下馬評ではうちのチームが有利の予想。
でも、野球は何が起こるかわからないスポーツ!
だから面白いんですよね?
強いチームだからといって必ず勝つとは限らない!
100%がない競技だと思うんです。
それなのにスリラーはベンチの上だし!!!
本番の試合が始まり、最後の大会というプレッシャーと相手チームの捨て身の思い切りの良さ等が絡み合い、なかなか普段の力が発揮できずにいた試合でした。
六回の裏ワンアウト2・3塁でバッターは4番の大ピンチ!
私はショートを守っており、一点もやれないため守備位置は前進守備のバックホーム体制。
ピッッチャーが投げたボールは右バッターの内角ストレート、計算通りにつまらせたのはいいものの、思ったより打球は早く三遊間に飛んだゴロを私は飛びつきグラブに収めて直ぐにバックホーム!
キャッチャーはブロック(今はしちゃダメですよ)しながらランなーにタッグしに行ったところメジャー級のスライディングでキャッチャーを吹き飛ばすスライディング、見事にアウトにしたもののキャッチャーは負傷!
走者のヘルメットのツバが顔に当たり流血!
直ぐに処置をしたが、処置時間に時間がかかりプレー再開までに流れが止まってしまい。
次の打者に痛恨のタイムリー!!!
残りの回でなんとか追いつこうと必死に反撃したが、及ばず下馬評とは反対の結果となってしまった。
ターニングポイント
この時がチッキーのターニングポイント!(ここ大事です)
あの時、ベンチにスリラーがいたらどんな指示が出ていたのだろうか?
あの流れをどうやって乗り越えるために、どんな言葉をかけてくれたのだろうか?
ちゃんとした指導者がいたらこんな結果にはならなかったのではないか?
なんで自分だけこんな目にあうんだ!
野球が好きなのにどうして大人の都合で子供達にしっかりとしたし指導者をつけてくれないんだ!
野球が好きで野球を教わりたいのに教われない子供達!
絶対にそんな子たちに、私みたいな思いをさせたくない!
それなら、私が指導者になろうと確信した瞬間でした!!!
そして私は大学で野球をやることに決めたです。
でも、大学野球というよりは教員の免許を取ることしか頭になかったので、正直大学野球は知らなかったんです。(無知って怖いですね!笑)
大学に行こうと思っても取ってくれるところがなければ入れませんよね?笑
野球バカだったので勉強はというと・・・泣
進路の相談
やっぱりこの時もスリラーに相談しました。
そしたらなんと「お前は俺の最後の教え子になるから4年間絶対に辞めないと約束できるなら考える」って。
しかも「行くからには親の死に目にも会えない覚悟で行けよ!」と、言われたことは、今にも先にもこの時しかありません。
私も覚悟はできています。
乗った船ですからね!(男気)
大学で野球をする?
自分も高校時代は少しは活躍したのだから、大学でもいけるでしょ?(安易な考え)
そして私は江戸(東京)に行くことになったのです。
その大学は神宮球場で試合をするリーグに所属し、プロ野球選手もたくさん輩出しその監督は、アマチュア野球界では知らない人がいないという大物!
(私は大学も監督もその当時は知りませんでした!怖いもの知らず!笑)
東京に出てきて寮生活。
初めて親元を離れ、これから始まる野球人生!
待ちに待った野球生活が始まるんだ。
ワクワク感は半端なかった!!!
でも、そんなワクワク感は1日経たずに打ち消されていった!!!
続きはpart3で!!!
えっ、「なげぇ〜〜よ?」
そう言わずに、ここからがまたいいところなんです。はい。